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龍の年を終えて

節分に近所の神社でお焚き上げをしていただきました。毎年古いお札や御守りなどを持って行くのですが、今回は自分の手で龍年のものを火に焼べました。十三年前の龍年に、ひょんなことから芥川龍之介の次男多加志のことを知り惹かれました。彼が書いた「星座」という同人誌を探して、一冊の本にまとめて鎮魂しよう、と思い立ったのです。本に出ているほど有名な同人誌ならすぐ見つかるに違いない。二、三年もあればできるだろうという、今考えても能天気な思いつきでした。ところがその同人誌は、肉筆の回覧雑誌で世界に一冊しかなかったのです。見えない手に導かれるようにとうとう探し出し、六年半かかって「星座になった人」(新潮社)を出版しました。

同時に、この貴重な資料をどこかの公共の施設に収めて保存・公開をしてもらいたいという思いを持ちました。私は多加志の同級生から「星座」を託されていたのです。あふれる才能があったのに、戦争のせいでこれしか遺せなかった。断捨離できるような物ではありませんでした。本で経緯がわかっているのだから、きっとどこかの文学館か文書館が収蔵してくれるにちがいない、と安易に考えていたのです。そこからがまた長い道のりでした。
収蔵するということは、それだけ人手も経費もかかります。館の性格とは違うからと断られたり、引き取ってもよいが公開はまず無理、と言われたりもしました。それから四年かかって、とうとう収蔵してもらえる文学館を見つけました。

出版後にわかったことがあります。多加志は病気のため一年休学したことになっていました。母親の芥川文さんがそう書いておられたので、疑わなかったのです。ところが拙著を読まれた東京外国語学校(現東京外国語大学)の同級生から、新しい事実を伺いました。彼は授業に出ず学校の図書館で小説ばかりを読んでいたので、出席日数が足りず留年したのだそうです。暁星でフランス語をみっちり勉強してきたため、外語で再びABCから始めるのが苦痛だったようです。彼には残された時間がない苛立ちもありました。
父のような物書きになりたい思いは私が想像した以上で、それらを裏付ける同級生宛の葉書も見つかりました。丹念に調べると、七十年前のことであっても事実が浮かび上がってくるのです。

「星座」を含む資料はすべて山梨県立文学館に寄贈し、新しくわかったことは同文学館の「資料と研究 第十六輯」に上梓しました。そして去年、念願だった「星座」他資料の 一般公開もしていただきました。この間に「星座」を託された方をはじめ、取材に協力してくださった方が十人あまり鬼籍に入られました。結局、前回の龍の年から次の龍の年まで十二年もかかってしまったのです。

 

今、自分の書いたものを読むと、赤面ものです。その時は部分だけ見えて全体が見えていなかったため、文章にゆとりがないのです。早く見つけなければ失われてしまう・・・と気ばかり焦っていました。十二年も調べ続けると、さまざまなことが見えてきます。最初は二十二歳の若さで散華した悲劇の文学青年ということばかりに眼が行って、戦争の原因にまで考えが及びませんでした。それには日本が石油を獲得するため、いわゆるABCD包囲網を突破して海外へ出て行った経緯があげられます。私はそれ以来、エネルギー問題に関心を持つようになりました。もちろん国際情勢にも無頓着ではいられません。

多加志は物理や科学も好きでした。とりわけ天文学に興味を持ち、「科学画報」を愛読していました。執筆のため読んでいたと思われる号を見つけて片端から読みました。少しは理解できるかと思いましたが、正直言ってかなり難しい。文語体で格調高く書かれた記事もあり、図や写真は極めて少ないのです。カラーはほとんどありませんでした。彼とよく物理の話をしていた同級生の横倉氏は、戦後その雑誌を出版していた誠文堂新光社に入社しました。願わくば多加志のことがドラマや舞台になって、多くの人々に知ってもらえたらうれしいです。

取材している間に、山ほどの戦争体験を伺いました。現実にかえると、ILCというのは夢のようなプロジェクトです。各国が協力し合って素粒子実験をしようというのは、平和でないとできないのです。ILCに関わるようになったのは八年前からですが、日本でできるようになったらいい、という思いは全く変わりません。
どうか実(巳)のある年となりますように。

2013年2月

天満 ふさこ

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