Columnコラム

コラム

2021年ノーベル物理学賞・パレジ博士の業績I

「2021年のノーベル物理学賞 ―真鍋博士おめでとうございました!」

 

10月初旬, 2021年ノーベル物理学賞の受賞が公表されました。

 

大方の予想通り,素粒子物理学の分野からではありませんでした。しかし,日本生まれでプリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎博士が受賞されました。おめでとうございます!

 

今年の受賞理由は「地球気候を物理的にモデル化し,変動を定量化して地球温暖化の高信頼予測を可能にした業績」で真鍋博士に加え,ドイツ人でマックス・プランク気象研究所の所長を務められたクラウス・ハッセルマン博士とイタリア人でローマ・ラ・サピエンツァ大学教授のジョルジョ・パリージ博士でした。3人目のパリージ博士は高エネルギー物理学でも非常に有名な博士で,高エネルギー物理学業界ではパリジ博士として通っていますので,このコラムでもパリジ博士と表記いたします。

 

さて,パリジ博士の業績はとても広い分野にわたっています。その業績を紹介しようとすると,とても長いコラムになってしまいました。そこでまず,ノーベル賞に直接つながった「スピングラス」と真鍋博士の業績の地球規模の気候変動にも関連する「確率共鳴法」についてまず紹介し,高エネルギー物理学に関わるお話は次回にお話したいと思います。

 

 

<パリジ博士の業績 その1 ―スピングラスにおける新しい解析手法の導入>

 

パリジ博士のどの研究が今回の受賞対象となったかですが,多くには「スピングラスの解析」と報道されています。受賞発表時のノーベル財団の発表和訳にでも,「1980年頃,ジョルジョ・パリジは不規則で複雑な素材に隠されたパターンを発見しました。彼の発見は,複雑系の理論への最も重要な貢献の1つです。それらは,物理学だけでなく,数学,生物学,神経科学,機械学習などの他の非常に異なる分野でも,多くの異なる,明らかに完全にランダムな材料や現象を理解し,説明することを可能にします。」となっています。

 

このスピングラスとは何でしょう?グラスとは,窓やコップの素材の「ガラス」のことです。

 

ガラスは材料に熱を加えて溶融させ,結晶化させないように急激に冷やして固めて作ります。

 

スピンは電子が持つ固有の自転のことで,そのために電子は磁石の性質を持ちます。鉄が磁石になるのは,鉄の電子がある一定の温度以下では,電子のスピンの向きがそろうほどエネルギー的に安定するからで,全体で磁石の性質が現れます。

 

もし,純粋な鉄ではなく,銅に若干鉄が混入しているような状態で熱をさましてみますと,スピンが揃うよりも,向きがてんでバラバラの方が安定することがあり,その様子が急激に冷やされ向きがそろえられず結晶化できなかったガラスの状態に似ていることから「スピングラス」と呼ばれるようになりました。

 

このバラバラなのに安定した状態をスピンの気持ちになり,フラストレーション(不満)という物理用語があてられます。ガラスもフラストレーションを持つ物質の容態です。

 

このスピングラスのバラバラの一見無秩序に見える理解を進めるためにパリジ博士は新しい概念を導入しました。

 

パリジ博士の登場に前に,この不純物の効果を調べるために登場した解析手法に「レプリカ法」があります。仮想的に同じ物理状態のレプリカ(複製)をあらかじめ用意して解析する手法です。仮想的に同じ物理状態を用意して解析すれば,スピングラスのように一見は無秩序だけれども安定している状態が解析できるという発想です。

 

このレプリカ法においてパリジ博士は仮想的に用意する物理状態のパターンは一つではなく,様々なパターンが混在すると考え,無数のパターンが生じるとする「レプリカ対称性の破れ」を導入しました。

 

そして,そういった多くのパターンのどれかが実際の物理状態として実現すると考えました。この時,異なるパターンへの遷移はまれであるとも考え,新しいタイプの秩序構造を導入しました。

 

このスピングラスのように一見無秩序に見えるスピングラスの状態に,新たな秩序構造を与えたことが評価されたのです。

 

 <パリジ博士の業績 その2 ―複雑な現象の解析に確率共鳴法導入>

 

ところが今回このコラムを書くにあたり,調べているうちに,Nature Italyからパリジ博士の別の研究を紹介する記事が見つかりました。

https://www.nature.com/articles/d43978-021-00128-0

この記事によると,パリジ博士も直接地球規模の気象現象を理解することをなさっていましたので,次にそれをご紹介します。

 

物理現象は非線形微分方程式で記述されることが多いです。微分方程式とは,

中学校で学んだ,数字が解(答え)となる二次方程式とは異なり,その解(答え)は関数です。

 

非線形ではない,線形微分方程式の解(答え)の関数は「解(答え)の重ね合わせの原理」が成り立つという性質を持ちます。二つの関数がその微分方程式の解(答え)であった時には,その二つを足したり引いたりしてもやはりその微分方程式の解(答え)になっています。

 

一方,非線形便分方程式の解(答え)を足した関数はその微分方程式の解(答え)にはなっていません。熱の伝搬や粒子の拡散を説明する熱伝導方程式や拡散法定式は線形微分方程式ですが,化学物質の化学反応と拡散を説明する反応拡散方程式は非線形微分方程式です。

 

線形微分方程式では,多くの場合,解(答え)の関数の存在と一意性が保証され,明示的に解(答え)となる関数を得る手法が広く知られています。しかし,非線形微分方程式では,「解(答え)の重ね合わせの原理」が使えないため,解の存在や一意性すらわからないことがしばしばあります。これは方程式を明示的に解くことができないことがあることを意味します。そして大概の物理現象は非線形微分方程式で記述されます。素粒子物理学にでてくる微分方程式も非線形微分方程式です。多くの場合は解(答え)を得るために,近似をし,線形の微分方程式に変形させて解の関数を得ることが多いです。

 

パリジ博士は非線形微分方程式の扱いにおいて,ノイズ(雑音)を利用する方法を開発しました。通常,ノイズは不要な成分なので逓減させる努力をします。パリジ博士は逆にこの不要にみえるノイズを利用することで現象を解明する方法を編み出しました。この手法は「確率共鳴(を利用する)方法」と言われます。

 

潜在的に弱いリズムを持つ非線形の現象に,ある最適なノイズが加わるとそれまで隠れていた弱いリズムを顕在化させることができ,感度よく検知できるようになることを示し,非線形微分方程式で表せる(約10万年の)氷河期と間氷期の繰り返し周期を説明しました。

 

真鍋博士の二酸化炭素による温室効果現象予測のように,地球全体の気象現象の予測に直接関係がある業績も残されていました。ノーベル財団の受賞理由には明示はされてはおりませんが,大変面白い業績なのでご紹介しました。

 

長くなったので今回はここまでにしましょう。最初にも触れたようにパリジ博士は高エネルギー物理学の分野でも大変有名な方です。次回はパリジ博士の高エネルギー物理学に関する業績を紹介します。

 

 順風奔放

Download