2012年7月6日

LHCは何を見たのか?(Congratulations ATLAS CMS)

 

 2012年7月4日にヨーロッパ原子核研究機構(CERN)で行われているATLASと CMSという実験グループが,ヒッグス粒子と考えられる新粒子を観測(observe)した と発表しました。
 私は,この発表の様子を秋葉原駅から羽田空港へ向かいながら携帯で聞いていまし た。CMSの講演者のIncandela氏が5シグマと言って会場が拍手に包まれたのは,ち ょうどモノレールで羽田空港に向かっているときでした。ツイッターにはこれを見なが らニヤニヤと書きましたが,内心かなり興奮していました。なぜ私だけでなく,多くの 研究者が注目し,お祭り騒ぎというような状態なのでしょう。それに今回の発表でこれ がヒッグス粒子だと断言していないのはなぜでしょうか?まずヒッグス粒子とはなに か,簡単におさらいします。


 素粒子物理学は,物質の最も基本的な構成要素とそれらに働く相互作用(平たく言え ば力)は何かを追求しています。今私たちは,この世界のほとんどの現象をうまく説明 する標準模型というものを知っています。この模型は非常によくできているのですが, そのままではすべての粒子の質量がゼロになるという欠陥を持っていました。現実の世 界では,物質に質量があるのですからそのままではいけません。そんな中,1964年にイ ギリスの物理学者,ピーター・ヒッグス氏が,自発的対称性の破れという考え方を素粒 子の現象に導入すると,うまく素粒子に質量を与えることができると提唱しました。そ のときに導入した新しい粒子に提唱者であるヒッグスさんの名前を冠したのです。つま りアイディアの提唱から50年近くたってこの粒子が発見されたかもしれないのです。
 もっとも,未発見といっても全く予想が無かったわけではありません。もし標準模型 が必要とするヒッグス粒子ならば,どのくらいのエネルギーの加速器でどんな実験をす れば観測できるか“おおざっぱに”分かっていました。今回LHCで発見された粒子はこの 予想に“だいたい”あっています。ですので,標準模型のヒッグス粒子らしいものが発見 されたのは確かなのです。
 でも,“おおざっぱに”わかっていたことに“だいたい”あっていたと言うのは微妙なとこ ろですね。もしヒッグス粒子が素粒子に質量を与えるものであれば,重たい粒子とは強 く,軽い粒子とは弱く相互作用をするはずです。LHCではやっと“何かあった”という状 況なので,見つかった粒子の性質を調べるのはこれからの課題です。そのようなことか ら,ヒッグス粒子らしきものがほぼ予想通りに発見されたけど,またそれがなにか断言 するのは早いかな?という状況です。


 さて,話がすこし細かくなります。ヒッグス粒子は重い粒子とは強く相互作用して, その粒子を重くします。軽い粒子はその逆です。ヒッグス粒子はいったいなぜ,ある粒 子は重く,あるものは軽いという区別ができるのでしょうか?その理由は分かっていま せん。ちょっとできすぎという感もあります。それを揶揄してヒッグス粒子は神の粒子 (なんでもしっているというくらいの意味でしょうか)と呼ばれたりもします。ですの で,ヒッグス粒子と物質粒子の相互作用の強さを精度よく測定して,それが本当に質量 に比例しているかどうかを,検証するのはとても重要です。それが分かって初めて発見 された粒子がヒッグス粒子かどうか判別できるのです。
 実は多くの人(私も含めて)が完全にそうならないと考えています。標準模型はとて もよく自然現象を説明しますが,標準模型では説明できない現象があることもすでに分 かっています。代表的なのが,宇宙の約23%を占めているといわれる暗黒物質の存在で す。これは標準理論の中には含まれていません。先ほど述べたように,物質同士の相互 作用は標準模型でとてもよく説明できます。だとしたら,標準模型にふくまれない現象 の影響は,これまで解明されていなかった部分,すなわちヒッグス粒子の性質に表れる のではないでしょうか。それが本当だと,今回見つかったヒッグス粒子らしき粒子の性 質をよく調べると,標準模型が必要としているヒッグス粒子とはちょっと違っているか もしれません。それが分かると,暗黒物質の正体のようなこれまで分からなかった問題 の解明につながる可能性も開けてきます。


 とにもかくにも,50年近く探し求めてきたものが,見つかったのです。素粒子物理学 は新しい時代に突入しました。これからはまずこのヒッグス粒子(らしきもの)の性質 をとことんまで調べることが課題になります。LHCが今回見つけたヒッグスらしい粒 子の質量は,私たちが研究している電子と陽電子をぶつける新型加速器「国際リニアコ ライダー(ILC)」がもっとも得意とするところでした。ILCはLHCを凌駕する精度で ヒッグス粒子の性質を調べることができます。私たち物理学者はそこに標準模型を超え た何かがある可能性が高いと思っています。ヒッグス粒子だけではありません。LHCが 大きな背景事象の中で見失ったかもしれない現象や,さらには,私たちが想像し得なか った新しい現象が発見できるかもしれないと多くの研究者が期待にわくわくしていま す。


 新しい時代の始まりです。まずは,おめでとう ATLAS, CMS, LHC。


 追伸:ヒッグス(らしい)粒子の観測について本コラムでも近々特集を組むつもりで す。お楽しみに!


 

高橋 徹
広島大学
AAAコラム編集長