科学は役に立つか

2012年8月6日

読売新聞

 科学は、2011年3月11日以降、その信用を急速に低下させているような気がしてならない。

 原子力、地震、津波などの科学は特にそうだろう。しかし、12年7月に発表された「ヒッグス粒子」発見は、科学のすばらしさ、奥深さを再認識させてくれた。

 ヒッグス粒子とみられる新素粒子は、欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型加速器がとらえた。万物に質量を与える素粒子として、ピーター・ヒッグス英エディンバラ大学名誉教授が1960年代にその存在を予言していた。素粒子は標準理論で17種あるとされているが、ヒッグス粒子だけが確認されていなかった。その発見は「世紀の発見」だ。この検出には日米欧を中心に数千人の研究者が参加し、発表の日の物理学者たちの感極まった様子が世界中に流れた。

 私も興奮していた1人だが、周りにはこうした声もあった。「この発見で私たちの生活が何か変わるのか。何かの役に立つのか」と。自然に関して人類がわかったことは増えたが、すぐに役立つことはない。ただ、数千人の研究者が真剣に取り組んでいるのだから有意義な探求であることは間違いない。そう答えたが、どうもすっきりしない。

 こうした感覚は、戸塚洋二・東大特別栄誉教授と交わした会話にもあった。戸塚さんは、素粒子ニュートリノに微少な質量があること証明し、「ノーベル賞にもっとも近い日本人」といわれていた。しかし、がんで2008年7月に亡くなった。

 その戸塚さんと雑談しているとき、思い切って「戸塚さんの研究は役に立ちますか」と聞いてみた。戸塚さんはしばらく考え、いたずらっぽい笑みを浮かべると、「役に立たない。たいしたことないよ」と言った。少し間をおいてこう付け加えた。「税金で趣味のような研究をさせてもらっている。幸せだ。研究内容を広く伝えることにはできるだけ応じたい」

 戸塚さんは、私たちジャーナリストの向こうに国民の姿を見ていた。01年2月の初めての取材には、がんを手術し、退院した直後で体調が芳しくなかったが、快く応じてくれた。その後、岐阜県山中のニュートリノ観測施設を訪れると、帰りは自ら運転する車でJRの駅まで送ってくれた。その車は廃車されてもおかしくないほど古かった。「ハンドルが自然と右の方に傾いてしまう」と笑っていた。飾らない人柄で、研究一筋だった。

 今では、戸塚さんは「科学が役に立つかどうかは、われわれ研究者でなく国民が判断することだ」と考えていたのではないかと思う。確かに、科学が生活を便利にする例はたくさんある。アインシュタインの相対性理論はGPS(全地球測位システム)利用になくてはならない。電磁波の発見は通信に、陽電子(ポジトロン)の発見は人体の断層撮影に役立っている。

 しかし、それだけではない。自然の原理の発見そのものが、人類全体の「知の財産」の蓄積に寄与している。営々と獲得してきた知の領域をさらに広げ、その先を探求する好奇心を生み、人類の活動を活性化する。たとえば、科学は、コペルニクス的転換から「ヒッグス粒子」発見までの長い時間をかけて、人類は宇宙の主人公ではないが、生命として貴重な存在であることを教えてくれた。これだけでも科学はわれわれに役に立っているのではないだろうか。

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